近況(※ちょっと重い話注意)

  • 2020.10.09 Friday
  • 17:01

(※ちょっとデリケートな話題なのでご不快になったらすみません。それ関係のワードが検索にかからないように気を付けましたが、どこかから引っかかって私の思想にご不快になられましたらすみません)

 

このところ体調を崩しておりました…というのも、第三子を授かったのですが、流れてしまいまして。

なぜわざわざそんな話をブログで書いてるかというと、この話をするとかなりの高確率で「実は私も…」という返しが来たことに驚いたのですね。

一般的にはあんてい期にならないと周りに報告しないですが、その間に人知れず悲しい出来事が起こっているわけなんですね。そもそもあんてい期にならないと報告しないというのは、ダメになる可能性が高いからなわけですが。

初期で第三子の私でも、もうダメなのに産院に通うのはなかなか辛かったのに、これが第一子だったら…もう形ができていたら…

想像するだけでも察するに余りあるものがあります。

あんてい期になってから報告しよう、と思っている間にだめになってしまった場合って、ほぼ誰にも知られず、なかったことになりますよね。そうしてひっそりと悲しみを乗り越えている人がたくさんいるってことですよね。

今回こういう経験をしたことで、それを話すことで「実はわたしも出産にまつわるこういう苦しみ、悲しみがあった」というお話を聞かせて頂けたことがすごく貴重な経験だと思いました。それに、その話をして下さった方のほとんどが、こういう風に乗り越えた、そのときこういうことに救われた、と私を気遣って辛い話をして下さったんですよね。その気持ちがありがたかったです。

 

今回に限ったことじゃないですけど、周りの人ってすごく楽しそうに、すごく器用に、すごく簡単そうに生きているように見えてどうして自分はこんなに生きづらいんだろう…って思いがちなんですけど、隣で笑っている人の本当の気持ちなんて誰もわからないですよね。

 

あまり美談にするのは好きじゃないんですが、宿った瞬間に消えてしまった命は、私にそういうことを教えてくれたんだなと思わざるを得なかった…という話です。

 

幸い心身ともにだいぶ回復してきました。

近々色々お知らせができると思いますのでまたツイッターなど見てやって下さいね!

15周年!

  • 2020.08.23 Sunday
  • 21:54

本日で、このサイトを作って15年が経ちました。

15年…15年か。長いな……

15年やってると、もう今更やめようという気にもあんまりならないですね。

たぶん、気が付いたら20周年なんでしょうね。

やめなければサイトはなくならないので、その間どれだけ書けるかが大事なんでしょうけど

割と同じ作品をずっとこねくりまわしたいタイプなので、そんなに増えない気もします(笑)

 

とくに何も企画はできなかったんですけど、好きなキャラクターアンケなど作ってみました。

実は10年ぶりにやります。昔はよくキャラ人気投票!とかやってましたね。

あれからさらにキャラクターが増えました。よろしければご参加下さい!

 

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfn8_unnXFnllcsSagfKGqJ9hDfZ-LnzK5ZGOxr4OHI9tXP0w/viewform

 

ちなみに、複数回答可です。というか推奨です。同じキャラでも違うキャラでも!

 

私が喜ぶだけの企画ですが、宜しくお願いしまーす。

そして今後とも宜しくお願いします!!

 

 

 

お知らせ

  • 2020.07.02 Thursday
  • 16:44

天海社DIANA文庫さんから新刊が出ましたのでお知らせです!

●美しき悪魔、落ちこぼれ呪術師のしもべとなる (DIANA文庫)

牛野こも先生の可愛らしくも繊細で美しい表紙が目印です!

挿絵も素敵なので是非ご覧ください♥

[公式サイト]⇒http://tenkaisha.com/?p=2004

 

[kindle]⇒https://www.amazon.co.jp/dp/B089ZV2JLX/?tag=tenkaisha-22

[楽天Kobo]⇒https://books.rakuten.co.jp/rk/225e13ca94863afca8e960077f0af794/

[Google Play]⇒https://play.google.com/store/books/details?id=ZgvtDwAAQBAJ

 

※電子書籍です

 

 

 

レベルアップ

  • 2020.05.07 Thursday
  • 19:09

今年もレベルアップしました、歳が。

 

去年は誕生日にどんなこと書いてたのかな〜って見てみたら書いていませんでした。あぁ去年は没食らってしんでたっけって、アハハ!!

 

もう全部やめちゃおっかなって思ってたんですがやめたらそこで終わりだし。そう思ってなんとか無様に開き直ってみましたけど、そのおかげで沢山の出会いがあったので。辞めたらゼロだけど続けてたら何かいいことあるもんですね。

空元気でもテンションあげていきますイェー!!

 

本当にね。

私ほど人気のない書籍化作家もいないと思いますよマジで。

お気に入りやコメント応援たーくさんとか縁のない話ですよ。ツイッターにログインしているとかなり惨めな気持ちになりますよ!!

切られたときはそりゃ悔しくはあったけれど、悔しいって言えるほど結果も出してないのがまた悔しいっていうか。あぁ私なんか何のメリットにもならないもんな…って。食らいついていくだけの気力も既にないし。人気なもの書けないし。書けないってことは努力が足りないってことだろうし。話題性もないし。面白いこともいえないし。グチグチ。

 

でもそんな私とも仲良くして下さる方がいらっしゃるのが本当に救いですよ。

お世辞でも、気まぐれにでも、話読んだよ面白いよって言ってもらえたら本当に泣いてますからね。ガチで泣いてますから。思い出すだけで泣いてますから。ごめんなさい重いタイプの人間で。

 

なーんにもないんですよなーんにもない人間なんですよ。そんなかーらっぽの心をみなさんの優しさが埋めてくれるので生きて行けます、ありがとうございます。拍手押して下さる方、命の恩人ですか!ありがとうございます!!

 

こんな奴ですが今年もひとつ宜しくお願いします!

「一般的な考え方」の是非について

  • 2020.04.27 Monday
  • 19:07

いつまでもトップがあの記事なのもどうよと思ったんですけどネタもなく、お久しぶりです。

 

休校が続きまして、子供に国語を教えていて思ったことなど。

 

「レモンのにおい」

 

から皆さんは何を想像するでしょうか。

次男は「いやなきもち」だそうです。

理由を聞くと、

 

「大好きなハンバーグにレモンがかかってすっぱくなってしまった場面を想像して、嫌な気持ちになった」

 

だそうです。

実に面白いですね。個人的には「さわやかな感じ」とか言われるよりずっと面白いんですけど。

×ですね〜。これを「間違い」とする学校教育に賛否があるのはわかります。

しかしこの発想、固定概念に縛られないのはとてもいいんですけど、自由すぎてとりとめがなさすぎるんですね!! こんな考えまでOKとしていたら、クラスの人数分の答えが存在してしまって先生一人で対応するにはいささか酷なことでしょう。そして、個性を伸ばすのは国語の授業とは全く関係ないと思うんですよね。

 

例えば、次男の「レモンは嫌な気持ち」を尊重すると「レモン=さわやか」という比喩表現を一切読み取れなくなってしまいます。

 

大事なのは

 

・レモンのにおい、という言葉を見て想像する気持ちを次から選びなさい

1:つらい気持ち

2:こわい気持ち

3:さわやかな気持ち

4:いやな気持ち

 

となったときに「ぼくは4だけど、答えは3だろうな」と考えて3を選ぶということです。

これは別に個性を潰す意図でも出題者への忖度でもないと思うんですよね。

 

少し話が逸れるんですけど、良い文章の絶対条件を私は「伝わること」だと思っています。

ですがそれを重視しすぎると、文章は詰まらなくなります。

 

爽やかさを伝えるときに、100%相手に伝わる言葉というのは

「爽やかな気持ちになった」

という以外にはありません。でもこれは面白くありません。余韻も何もないからです。

これを、爽やかという言葉を使わずに伝えたいのが作家気質です。

例えば、先の問題をクリアしていれば

 

「部屋にはレモンの香りが広がっていた。」

 

という文章で爽やかさを感じられるようになるんです。

 

例えば、私魚の顔が好きで、スーパーの魚をただ見ているだけで面白い気持ちになれるんですけど、いくら私が死んだ魚の顔が好きだからといって

 

「死んだ魚がたくさん横たわっていた。」

 

という文章で楽しい気持ちを伝えようとするのは無理がないですか?

ですから私は楽しい気持ちを伝えるときに魚という要素を選ぶことはありませんし、これは自分の個性を軽視していることだとも思いません。

 

学校教育は個性を潰すところではなく、一般的な考え方を習うところだと思っています。マイノリティの否定ではなく、無理にでも一つの境界線を定めておかないと、人と共存することは難しいと思うからです。

 

少し話のスケールが大きくなってしまいましたが。

小説の世界でも、婉曲な表現は嫌われます。相手に伝わる可能性が減るからです。それは表現者の手腕に欠けることと、読み手が文章に慣れておらず、また一般的な表現の「一般的」というのをよくないとされる風潮によって、想像力や読解力などの在り方が変わってきているのもあると思います。

 

楽しい気持ちは楽しかった、爽やかな気分なら爽やかな気分と書けばいいじゃないか。

 

ごもっともです。

ごもっともだけど、そうは言いたくないのが表現者なんですよねえ。

 

ですから私は次男の「レモンが嫌な気持ちか、面白いね!」と言いながらも「正解はさわやかな気持ちダヨ。」と涙を飲んで教えるのです。

 

まぁ、表現者としては「レモンが爽やかな気持ち」なんてのも使い古されすぎたありきたりの表現なので、次男の言の方がよっぽど面白いんですけどね。

無題

  • 2020.04.01 Wednesday
  • 16:24

新年度ですね。

 

世間は落ち着かず、HSP気質の方は世間の刺々しい空気に息が詰まる思いをされているのではないかと思います。

ギスギスした空気や誰かを叩き上げ足をとり罵るばかりの界隈。

こんなときこそ楽しく創作したいのですが、すっかり空気に当てられて鬱です。

エイプリルフールだけど何かそれネタのSSや絵を描こうと思っても手が動かない…

 

封鎖封鎖って言いますけど、店を閉めるにもロスが出ます。

店がつぶれないだけの補償をして封鎖?そんな話ばかり見掛けるんですけどそのお金は一体どこから出てくるんですか?

休業したら営業続けていけない全ての店にお金を出す?生きていけない全ての人が生きていくだけのお金?

税金からですか?その税金は平時ですら足りてないのが現状でしょう。

日本は貧富の差なく、全ての人が危機に際して警察消防救急を呼ぶことができるし、高水準の医療と最低限の生活を保証されて教育を受けられます。これらは当たり前のことではありませんし、税金を払っているから受けられる当然のサービスでもないです。人生で行政から受ける恩恵にかかるお金なんて、ほとんどの人が払いきれていないと思います。義務教育を受け、人生1日24時間356日警察消防救急が万全の態勢で出動できるのに必要な額だけですらいくらになるのか。それをペイできる人なんてほとんどいないんじゃないでしょうか。

 

実際、私は国を動かすのにどれくらいのお金が必要なのかわかりません。私が一生恩恵に預からないものに使われる税金もあるのでしょう。それを全て把握することなく、私の払っている税金が無駄になっているかどうかなんて判断できません。なのに、税金返せという人の多い事。自分が困っていることは声高に叫ぶのに、他人の痛みに興味のない人のなんと多いこと。役所の職員や警察に税金返せと言う人がいますが、公務員だって税金払ってます。

 

小説を書いているとよくわかることなんですが、自分の思っていることを対象者に正しく伝えるというのはとてもとても困難です。Aを伝えたいときに大部分はAととってくれても、A’と取る人もA+と取る人もA−と取る人もいれば、Bと取る人もCと取る人もDと取る人もZと取る人だっているんです。

創作ならそれは自由です。私がAだと思って書いた物語をA’と思ってもらってもZと思ってもらっても66でも無でも愛でも夢でもそれは読む人の自由です。

だけど有事の際、AをAと伝えなければいけないことが要求された場合、BやZと伝わればそれは発信者が悪いことになります。だけど万人がAだと取るような魔法の言葉や伝え方なんてどこにもありません。

私はずっと接客業をやっていますけど、声をかけられないと怠惰だと思う人、声をかけたら嫌がる人、丁寧に対応して欲しい人、フランクに接して欲しい人、お客様によって要求することは全然違います。だから、対応する一人一人の様子を見てそれに合わせて対応します。でもこれは顔の見える一人一人に対してです。

顔の見えない何億人全てを納得させることなんて無理です。

そして、私たちはAだと思っている人をそれ以外に思う人を「おかしな人」だと判断するのも「わかってもらえなくてもいいや」「わかってもらえなくても仕方ない」と割り切ることもできます。でも指導者はそれが許されないという理不尽の上にいます。

 

もっと難しいことには、その顔の見えない何億人全てが知識を持っているわけではありません。大体が素人です。

法律と一口にいっても民法刑法民事訴訟法刑事訴訟法から、地方公務員法動物愛護法まで細かくわければとても書ききれないですし、一般の人には民事裁判と刑事裁判の違いすらわからず、自分が気にらなければ死刑、同情できれば釈放くらいの価値観しかありません。それは当然でしょう。わかる人が勉強して裁けばいいと思っている。でもわかる人が勉強して裁いても、それは間違っていると叫ぶ。

国の仕組みも法律も何もかも知らず、知ろうとも学ぼうともせず、間違っていても何の責任も持てない人が、自分の思い込みだけで物事を判断して、聞こえのいい言葉で人を煽る。そして、不眠不休で頑張っている人たちの足を引っ張る。その自覚もなく。

 

私達は辛ければ逃げればいいと逃げが許されるところにいながら、有識者が間違っていたら絶対に許さないのはどうしてでしょう?そして、有識者はそこに至るまでに色んな勉強と努力を重ねてきたはずなのに、何もしていない人が「間違っている」と判断できるのはなぜなのでしょう?

 

安全なところから、困る人にはお金を与えて、事態が終息するまで封鎖してしまえばいい、やれあの政治家は駄目だ、日本は駄目だと叫ぶことの、なんと安易な正義か。

 

ウイルスよりも、人の自分だけが正しく可愛いという醜い一面が怖くて辛いです。

そしてそれを考えるとき、自分も等しく、自分が正義で自分が可愛いからこんな記事を書かずにはいられないのだと気付き、絶望するのです。

 

どうかエイプリルフールの戯言とでも思って下さい。

普通について考えてみた

  • 2020.02.26 Wednesday
  • 09:37

先日ツンデレを例に出した記事を書いたんですがタイムリーな事件がありました

 

長男氏(11)が好きなゲームがあり、最近私が貯蔵してるそのゲームのコミカライズやノベライズ、ドラマCDなどを発見して読んだり聞いたりしているみたいなのですが、昨日突然

 

「AってBのことが好きだったんだね! 初めて知った!」

 

と言い出したのです

 

長男氏はそのゲームを何年か前に始めて2周はしてると思います

ノベライズも何度か読んだようで、そしてAのBへの好意はゲームでも明らかにされてるし公式カプと言えます、同人界ですら対抗カプを見ないほどです。

 

ただ、確かにAはツンデレ気味でした。とてもわかりやすいツンデレですが

 

長男氏は最近ようやくマンガや小説に興味を持ちだした感じであまり読書量はありません。男児向けアニメは好んで見てましたが。

ツンデレという概念を知らなければ、やはり前記事の答えは2番になる可能性が高いのではないかと思いました。

また、前記事の例文を見て「ヒロインは相手を好きである」という仮定を立てるには自身のリアルな経験も影響すると思いました。

 

「素直になれず、つい思ってもいないことを口にしたことがある」

 

この経験がなければやはり「好き」に辿り着くのは難しいのかもしれないなと。また、ツンデレキャラに共感することも難しいと思います。

その経験がなかったとしても、例えば友達にネガティブなことを言われ、後日

 

「あんなことを言ってごめん。本当はあんなこと言うつもりじゃなかったのについ…」

 

などという謝罪を受けた経験があれば、そういう人がいるということを知っているので受け入れやすいかと思われます。

ただ、謝罪もなく暴言ばかりを吐く知人がいたりすれば、逆にツンデレキャラが嫌いになる可能性は高そうです。

 

ツンデレが一種のテンプレ化して一定の人気があるということは、素直になれずつい思ってもないことを口にする人は一定数いるという仮定ができるかなと思います。

 

ここで思い当たるのがこちらも物語の感想でよく見る「そんな人いねぇよ」というもの。

 

いるんです

 

これは絶対です。小説で出てくるようなキャラよりもはるかに様々な人がこの世には溢れています。

 

最近ふと思ったことなんですけど。

私は自分が普通ではないことに長年多少悩んでいて、それに対してよく聞く「普通なんてないよ!」っていう言葉にも若干飽き飽きしていたんですが、これはあながち間違っていないことかと思いました。

 

というか、「普通」と「普通でない」の二極化してしまうから話がおかしくなるわけで。

あらゆる物事に対して、割と大多数の考えとそうでないものが存在していて、Aについては多数よりだけどBに対してはそうではない、と連続していくだけの話であり、また大多数かそうでないかというのも必ずしも統計を取ったわけでもなく、取ったところで「本当はAと考えているけどBにしておこう」「AともBとも言い切れないけれどBにしよう」「よく読んでなくてAだけどBにした」など色んな可能性が存在してしまうので正確とも言えません。

 

また、人生で深くかかわる人っていうのは本当にごく一部です。一部の環境で育った中ではみ出すことが多かったからといって自分は普通ではないと決めつけるのは早計かとも思います。

 

創作について言えば、一口に「普通」と言っても「映画が好き」「小説が好き」「漫画が好き」という人がそれぞれいて、それぞれの媒体を活かせる表現というのがあり、その媒体が好きな人はその表現を好む傾向があると思われます。それが「普通」と言われるのはごく自然なことかと思います。

その媒体を活かした表現をしようと思えばある程度パターン化されていくのではないでしょうか。

例えば雑な例を挙げれば、小説が好きな人が映画を見た場合「バンバン派手で情緒がない」という感想を持つこともあろうと思いますが、なら小説を読めばいいじゃないかという。ただしこれは暴論であり、パターン化せず、その媒体の持つ魅力を活かしながら他の媒体のファンも取り込む要素も入った傑作というのはあると思います。ただしこれはかなり難しいでしょう。

 

複合的に色んな媒体が好きな場合好みはより細分化、複雑化していくと思いますが、それは普通でないというより自身の経験が多いことによって一般的な人が楽しめるようなものでは満足できないという要素も大きい気がします。

人によってキャパシティが違うので、より創作に比重を置いていなければ、大抵の人はそう多くの要素に触れないためにパターン化されてそれが「普通」を作るだけの話かなと。

 

創作を楽しむには、自分の好みの傾向を把握して、それがより表現される媒体を見つけるのが大事なのかもしれないですね。

 

未だ自分の好みの傾向を把握できない人物が辿り着いた何の意味もない一つの答えです(台無し)

 

何事もほどほどに

  • 2020.02.19 Wednesday
  • 11:00

私は特に信心深い方ではないのですが、学生時代仏教という教科がありまして、大体寝ていたのですが(ごめんなさい)一つ印象的なエピソードがありまして。そちら関係の方がご覧になられましたら怒られそうなくらい色んなことを割愛して書かせて頂くのですが大雑把に言いますとおしゃかさまが山籠もりして断食をするのですが「これには意味がない!」と悟りを開いて山をおりるエピソードです(本当に大雑把すぎてごめんなさい)

何事もほどほどに…

 

というのは全ての物事に当てはまるのですが(死について考えないのも愚かだが考えすぎても愚かみたいなやつ)。

創作的にも当てはまるなと思い、さらにこれを読解力の観点から考えてみました。読解力の定義についてはあまり深く突っ込まないで下さい…

 

ツンデレを例に出します(突然)

 

「あ、あんたなんか嫌いなんだからぁ!」

とヒロインは顔を赤らめて叫んだ。

 

場合、ヒロインは

1.相手のことが好き

2.相手のことが嫌い

3.これだけではどちらかわからない

 

おおまかに予想される3つの答えを仮定し、さらにその根拠をおおまかに予想します。

 

1の場合

顔を赤らめ、照れてどもりながら「嫌い」と叫ぶ…ははぁ素直になれずつい逆のことを言ってしまったんだな!

 

その素直になれないヒロインが可愛いのか可愛くないのか、好きか嫌いかは置いといて、これが一般的解釈かと思います(一般的の定義についても突っ込まないで以下略)。この解釈に至るには、実は想像力、読解力、自身の経験が必要です。これは例なのでごく短いものですが、それでもなんとなく想像できるのはテンプレなツンデレだからですね。これも経験の一種ですが、このセリフを向ける相手への好意を感じ取れる描写がもっとたくさんあって、だけどヒロインは素直でないというキャラ付けをされた上でこういうシーンに至るという作品があり、それを読んだ経験からこのセリフを補完できるためでしょう。

読解力は、直接書かれていないことからどれだけ読み取れるかという力のこともあると思うのですが、それには想像力も不可欠です。本当に嫌いならば「あ、あんたなんて…」とかどもることはないだろうとか。何故顔を赤らめるのか、とか。本人が「嫌い」と言っていることをその他の要素によって否定するのは紛れもなく想像であり、また、このあとヒロインによって「実は本当にあんたが嫌いだった」という断定がなければあくまで「ヒロインが相手に好意を持っている」というのは想像上のことでしかありません。

 

2の場合

ヒロインが「嫌い」と言っているのだから嫌いなんだろう。

 

素直な取り方です。解説の余地もありません。

しかし「だったらなぜ顔を赤らめているんだ!」と問われると、そんなものはわかりません。多少想像力があるなら「顔が赤くなるほど怒っているんだろう」と答える余地はありますね。例に書いただけの文章なら間違っていると断定もできません。

 

3の場合

ぐうの音も出ないほどの正論です。解説の余地が全くありません。

 

実は、大多数が1を選ぶだろう(あえて違うものを選びたくなる天邪鬼さんを除外すればですよ)と仮定しておきながら、1が一番そう思う根拠について説明するのに文字数が必要なんですね…書いてみて思いました。

なのになぜ1が多いと思うのか、それは人は文字で物語を読むときある程度の読解力や想像力を働かせながら読み、そしてそれが読書の楽しさだと思うからです。

そして、この答えに正解などありません。もしかしたら第4、第5の正解もあるかもしれません。仮にそれでも正解を付与するなら2パターンあり、

 

A・筆者の断定

B・読者の大多数が予測したもの

 

Bについてはさらに細分化されます。たとえば現国の問題を作るような文章慣れした人が出した答えと、フラットな視点で見た大多数の人が出した答え…など。

 

でもやっぱり真の正解と言えるものはAであり、例えばこれまでの描写でどれだけ相手のことが好きだと取れるシーンが語られようが筆者が「ヒロインは本当は相手のことが大嫌いだった」という一文を書けば覆るからです。

しかしこれは読者にとんでもないフラストレーションを与えます。何かのシナリオが炎上している場合、大体これだと思います。

だからあえてBの正解を記述しました。私はBも正解だと思います。

 

さて少し話が逸れたのですが、最初の1〜3の答えに正誤はありません。しかし語弊を恐れずに言うなら、素直に受け取るなら1が答えになるんじゃないかと思います。その1の答えに辿り着くのに必要なのが、ほどほどの読解力です。なければ2に、行き過ぎれば3(もしくは4や5)になるかなと。

それは人の感性ですから優劣はありませんけれども。

そして大多数の創作物が、ほどほどの読解力を期待して記述されます。2・3の答えを選ぶ人は恐らく人気商業作品は面白くないんじゃないかと思います(もちろん断定はできませんよ!)。もうひとつ言うと、1の答えを選ぶけれど2・3の答えを期待する人も一般的に人気の作品は面白くないと思います。理由は「ありきたりだから」です。

 

ところが今逆転現象が起こっていて、1はありきたりすぎるからとそれ以外の答えに辿り着く作品にもスポットが当たり始めました。そうすると捻っていない答えが面白くもなってくる。

こうして考えると、SNSの台頭によってテンプレ化していると思われる創作物ですが、実は多様化しているとも考えられますね。

 

少し付け加えると、「1」を期待させておいて「1以外の答え」を提示するのが叙述トリックだと思います。しかしこれには非常に高いセンスと筆力が要ります。下手をすると前述の読者のフラストレーションに繋がりかねないのです。

 

「1」を予想させておいて「1」であるという物語が一番つまならいのですが一番面白いというのが私の見解なんですが、酷い矛盾をはらんでいます。

 

つまり…答えなんてないのです!!

 

 

 

何事もほどほどに。

 

 

HSPとファンタジー・2

  • 2020.02.12 Wednesday
  • 12:05

こんにちは羽鳥です。

 

前に、私は「物語の主人公に共感を必要としない」と書きましたが、ふと最近そう言い切るには語弊があると思いました。

これは「キャラクターの関係性を重視する」と書いた件にも関係するのですが、むしろ「私は主人公にかなり共感している」方ではないかなと。さらに言えばHSP気質とも重複するかなとも思うのですが。ただし、感想などで見る「共感」とはかなり違うかな、と思います。

 

たぶん、感想欄やレビューなどで見る「キャラへの共感」というのは、「自分(読み手)」と密接に関係しているのだと思います。

 

例えば、「イケメンに優しくされてキュンキュンする気持ち」「虐げられていた主人公が虐げていた者を倒してスカっとする気持ち」、これらは「実際自分がこうされたら、私もこういう気持ちになるなぁ!」という自分の経験に基づいたものだと思うのです。

 

しかし、私の「共感」はこれらとは少し違います。ここに「自分」は関与しません。ここでHSPの「超共感」です。

 

私の言う「主人公への共感」とは、たぶん「主人公そのものになる」ことなのだと思います。

HSPの、他人が怒られていても自分が辛くなるという特性の応用です。

これと前者との違いですが、例えばですよ、仮に私がイケメンに優しくされたらキュンキュンしちゃうイケメン好きな女子だったとしましょう(笑)。すると、一般的な共感では、主人公がイケメンに優しくされたら自分もときめくはず。しかし、主人公がイケメンなんか大嫌い!虫唾が走るわ!!などと言っていたら主人公に共感できないはずですね。

 

ではここに主人公のバックボーンを付与します。主人公は昔、イケメンに騙され酷い目にあっていたという過去が語られます。すると、自分はイケメンが好きだとしても、主人公は嫌い、かつ嫌っても仕方がないということになる。すると、主人公の「イケメン嫌い!」に共感することができるようになる。

 

とさも特別なことのように書きましたけれどこれってかなり当たり前のことで、「キャラクターがそういう風に感じる」という理由を付与することで、超共感力の持ち主でなくとも主人公に「疑似的に共感」することができるようになるし、できなくとも「主人公がその挙動をする理由を理解」できる。

こうすれば、主人公に自己投影できなくても物語を楽しむことはできるようになるはずなんですね。恐らく。

 

しかし、とくに理由も語られず、突然主人公がイケメンを嫌う描写が入ったとしたら。

 

イケメン好きな読者「えーどうして!?私ならときめいちゃうけどなあ!」

イケメン嫌いな読者「スイーツ脳じゃない主人公、好感持てる!」

私「この主人公がイケメンを嫌いになった背景として何かがあるはず。いったい彼女に何が…」

 

あくまで一例ですがこんな感じかと思うのです。

 

 

ここで読解力という言葉に触れたい。

現国のテストで「この話で筆者が何を言いたいか答えなさい」と言う問題の是非についてよく耳にします。

よく聞くのは「そんなもの、正解は筆者にしかわからない」というものです。

 

しかし現国の問題からすれば、筆者が何を考えていたかなどどうでもいいことなのです。

その文面に使われている「技法」についてを学ぶ問題なのだと思います。そこに書かれている心理描写、情景描写などからどういうことがわかるかというのを読み解く問題なので、例えば現国の模範解答と筆者の思惑が違うのなら、それは筆者の敗北だとも言えるでしょう。

 

まぁ…読解力をどう定義するかは結構ナイーブな問題になってしまいそうなのですが、私は「その文章から主人公の置かれている現状と心情を読み取る力」だと思っているので、叙述トリックに引っ掛かった人が読解力がないとか言われると憤るタイプなのですが。あれは読解力があるからこそ引っ掛かるんだい。

 

別に読解力を鍛えるべきとかそういうこと思ってませんし、ある人が優れてるとかそういうことも思ってません。

 

ただ、現国問題は「自分がどう考えているか」なんて全く関係ないんです。「貴方の思ったことを書きなさい」という問題さえ×が存在するという矛盾すらあります。本来この問題の出し方に×はないはずなのにね。

それくらい、話を読むときに自分というものは必要ないはずなんです。

 

国語が好きで国語教育に染め上げられたHSP気質な私は、ニュートラルな気持ちでキャラクターに共感する。

だからこそ、キャラクターの描写不足が一番不完全燃焼を起こすのでしょう。

 

もしかしたら、物語を読むときに徹底して自分を消してしまうからこそHSPなのかもしれませんね……

常に物語の中でキャラクターを俯瞰してきたからこそ、日常も物語のように俯瞰してしまうとかそういう。

マイナスよりプラスで

  • 2020.01.19 Sunday
  • 17:10

こんにちは羽鳥です。

 

今年は好き勝手やろうと思っていて、とりあえず生活の合間にやりたいことをやっています。楽しい。

 

イベントはできるだけ参加したいと思ってるんですけど、毎月は無理だ…!ということで、とりあえず4月名古屋コミティア、6月がーでんえふ、8月COMITIAという感じかなーと考えてます。

 

初心に返って書きたいものを書こうと思うんですけど、書きたいものってなんだ…?っていうループに入るんですよねぇ。

最近ツイッター眺めてると、道交法を守っていない演出が気になるだとか、ピンクの髪が気になるだとか、なんかもう私が知ってる物語の世界とは違う…っていう意見が散見されます。

別に、感性が違うことはまぁ当然だと思うんですよ。私の名作は貴方の駄作、逆もまた然りでしょうけど。私が嫌なのは「●●はおかしい」という個人の主観によって●●が淘汰されることです。

 

ちなみに私は周囲を振り回すような我儘ヒロインとか大好きなんですけど、もう今絶滅危惧種ですよねぇ〜。

 

嫌いを叫ぶことの何が悪いと言われると、そういう風に私が好きなものを淘汰されることが嫌です。好きなものを叫んだ方がいいと思いますけど、この世には自分が嫌いなものが存在していることが許せない人が多すぎる…、まぁそういう流れならば堰き止めることはできないからもう仕方ないですけどね。

 

ちなみに私は、物語の矛盾だとか、世界観や文化だとかの細かい齟齬は割とどうでもいい人なんですけれど、逆に絶対に重視するのが「キャラクターのバックボーンや関係性」ですね。ここが適当だとどんなに作りこんだ世界観でもどんなに秀逸なストーリーでもどんなにキャッチーなアイディアでも途端に冷めてしまいます。

 

物語って、やっぱり起承転結がないと物語として破綻していると感じるタイプなんですよね。ちょっと話がずれるのですが、今人気が出たり流行ったりしてる話は第一話にクライマックスが来てるものが多いかなと思います。後は尻すぼみしていくしかないというか。でも、起承転結しっかり構成された話をネットで連載したとして、1話公開したときには10しかなかったお気に入りが1000になったとしたら相当な名作だと思うんですけど。1話からガンガン見所を持っていって10000の人を掴み、そこから尻すぼみして1000人が切ったとしても9000人残るわけですよね。極端な話、最近はそれでしか生き残れないところあります。

 

まぁ、曲でもいきなりサビから入るような構成だとすごく耳に残りますし、似たようなものです。その手法自体は悪くない、むしろいい。好きですよ。でもそれ以外がなくなってしまうのは寂しい話でございます。

 

話が逸れましたが。私はキャラクターの関係性が全ての人種でございまして、それがおろそかにされたと感じると一気にザァーっとドンびいてしまうところがあるので、●●警察みたいに言われる人たちもそこがおろそかだとドンびいてしまうのでしょうし、まあ仕方ないですね。

 

それを思うとターゲット層、レーベルわけというのはやはり重要なんですよね。そして、自分が面白くないと思った作品は貴方を対象として作られていないと思うので、その作品が好きな人たちのためにそっと離れて欲しいものです。こんなこと主張したところで叩かれるだけだと思うので、自分はそうしようとささやかに思うのでした。

 

ていうか…、「●●をやめて下さい!悲しんでる人がいるんです!」っていう主張。まっとうな人は最初からしないんですよね。そういうことをする人の大半は、悲しませたくてやってるので多分逆効果だと思う。

誰かを刺そうとして不特定多数に放つ言葉は、大体狙ってない人に刺さります。刺したい人には見事なまでに刺さらない…。

 

誰かを刺すより刺された誰かに手を差し伸べて生きていきたいと思う2020年でございます。良かったら私にも手を差し伸べて下さい。大体いつも病んでます。羽鳥でした。

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